Why I Write

gooブログ”Various Topics 2"より引っ越し(2025年8月24日)

「ジャン・リュック・ゴダール」と「ピカソ」-10(「バレエ・リュス」と「ピカソ」)

 

9月のブログ記事

グロリオーサさんの「新イタリアの誘惑」を観ながら気分は墓参り - Why I Write

で紹介させてもらったグロリオーサさんの写真に、

glori69059osa.hatenablog.com

 

ストラヴィンスキーのお墓の写真がありました。

ストラヴィンスキーと言えば、「バレエ・リュス」。

イーゴリ・ストラヴィンスキー - Wikipedia

 

「バレエ・リュス」と言えば「セルゲイ・ディアギレフ」なんですが、

セルゲイ・ディアギレフ - Wikipedia

ディアギレフのお墓も「ヴェネツィア」のストラヴィンスキーの墓の近くににあります。

ディアギレフが死亡した場所がヴェネツィアだったからヴェネツィアに埋葬されたのでしょうが、ニューヨークで亡くなったストラヴィンスキーの埋葬地は、なぜヴェネツィアになったのでしょうか?

 

この「バレエ・リュス」については過去に書いていますが、

バレエ・リュス人脈-1(モナコをギャンブルとエンターテイメントの国にしたポリニャック家の子孫) - Why I Write

バレエ・リュス人脈-2(バレエ・リュスの歴史・ルネ・ブルム) - Why I Write

バレエ・リュス人脈-3(レティンガーとシャネルの愛人ボーイカペル、メキシコ) - Why I Write

 バレエ・リュス人脈-4(アレクサンドル・ベノワから俳優で世界連邦運動会長だったピーター・ユスティノフ) - Why I Write 

バレエ・リュス人脈-5(アンナ・パヴロワ~ポリアコフ兄弟~ユダヤ人職業訓練基金) - Why I Write

バレエ・リュス人脈-6(アメリカに渡ったNicolas de Gunzburg) - Why I Write

バレエ・リュス人脈-7(無垢な人たち、利用された人たち) - Why I Write

バレエ・リュス人脈-番外編(フランキスト) - Why I Write

 

この「バレエ・リュス」の美術や脚本を担当した夢い芸術家のなかに、ピカソがいます。


レオン・バクスト、(1866ベラルーシ - 1924仏)
アンリ・マティス、(1869仏 - 1954仏)
アレクサンドル・ブノワ、(1870露 - 1960仏)
ジョルジュ・ルオー、(1871仏 - 1958仏)
アンドレ・ドラン、(1880仏 - 1954仏)
パブロ・ピカソ、(1881西 - 1973仏)
ジョルジュ・ブラック、(1882仏 - 1963仏)
モーリス・ユトリロ、(1883仏 - 1955仏)
マリー・ローランサン、(1883仏 - 1956仏)
ココ・シャネル、(1883仏 - 1971仏)
ジョルジョ・デ・キリコ、(1888ギリシャ - 1978伊)
マックス・エルンスト、(1891独 - 1976仏)
ジョアン・ミロ、(1893西 - 1983西)
ジャン・コクトー、(1889仏 - 1963仏) --『青神』『パラード』『青列車』の台本

 

ピカソの作品を有名にしたのは、

アンボロワーズ・ヴォラール、

アンブロワーズ・ヴォラール - Wikipedia

マックス・ジャコブ、

マックス・ジャコブ - Wikipedia

ポール・ギョーム

Paul Guillaume - Wikipedia

オランジェリー美術館”欲と血にまみれた絵画コレクション”動画(by中村氏) - Why I Write

、彼らだったろうと思いますが、「バレエ・リュス」がなかったなら、ピカソはここまで有名になったのかどうか、とも思います。

ピカソの最初の妻は、「バレエ・リュス」のバレリーナでした。

 

ピカソを描いた映画『サバイビング・ピカソ

www.youtube.com

サバイビング・ピカソ - Wikipedia

 

この映画を監督したジェームズ・アイヴォリーについてはまたいつか書きますが、

ジェームズ・アイヴォリー - Wikipedia

ピカソも、一旦ここで終わりにします。