9月のブログ記事
グロリオーサさんの「新イタリアの誘惑」を観ながら気分は墓参り - Why I Write
で紹介させてもらったグロリオーサさんの写真に、
ストラヴィンスキーのお墓の写真がありました。
ストラヴィンスキーと言えば、「バレエ・リュス」。
「バレエ・リュス」と言えば「セルゲイ・ディアギレフ」なんですが、
ディアギレフのお墓も「ヴェネツィア」のストラヴィンスキーの墓の近くににあります。
ディアギレフが死亡した場所がヴェネツィアだったからヴェネツィアに埋葬されたのでしょうが、ニューヨークで亡くなったストラヴィンスキーの埋葬地は、なぜヴェネツィアになったのでしょうか?
この「バレエ・リュス」については過去に書いていますが、
バレエ・リュス人脈-1(モナコをギャンブルとエンターテイメントの国にしたポリニャック家の子孫) - Why I Write
バレエ・リュス人脈-2(バレエ・リュスの歴史・ルネ・ブルム) - Why I Write
バレエ・リュス人脈-3(レティンガーとシャネルの愛人ボーイカペル、メキシコ) - Why I Write
バレエ・リュス人脈-4(アレクサンドル・ベノワから俳優で世界連邦運動会長だったピーター・ユスティノフ) - Why I Write
バレエ・リュス人脈-5(アンナ・パヴロワ~ポリアコフ兄弟~ユダヤ人職業訓練基金) - Why I Write
バレエ・リュス人脈-6(アメリカに渡ったNicolas de Gunzburg) - Why I Write
バレエ・リュス人脈-7(無垢な人たち、利用された人たち) - Why I Write
バレエ・リュス人脈-番外編(フランキスト) - Why I Write
この「バレエ・リュス」の美術や脚本を担当した夢い芸術家のなかに、ピカソがいます。
レオン・バクスト、(1866ベラルーシ - 1924仏)
アンリ・マティス、(1869仏 - 1954仏)
アレクサンドル・ブノワ、(1870露 - 1960仏)
ジョルジュ・ルオー、(1871仏 - 1958仏)
アンドレ・ドラン、(1880仏 - 1954仏)
パブロ・ピカソ、(1881西 - 1973仏)
ジョルジュ・ブラック、(1882仏 - 1963仏)
モーリス・ユトリロ、(1883仏 - 1955仏)
マリー・ローランサン、(1883仏 - 1956仏)
ココ・シャネル、(1883仏 - 1971仏)
ジョルジョ・デ・キリコ、(1888ギリシャ - 1978伊)
マックス・エルンスト、(1891独 - 1976仏)
ジョアン・ミロ、(1893西 - 1983西)
ジャン・コクトー、(1889仏 - 1963仏) --『青神』『パラード』『青列車』の台本
ピカソの作品を有名にしたのは、
アンボロワーズ・ヴォラール、
マックス・ジャコブ、
ポール・ギョーム
オランジェリー美術館”欲と血にまみれた絵画コレクション”動画(by中村氏) - Why I Write
、彼らだったろうと思いますが、「バレエ・リュス」がなかったなら、ピカソはここまで有名になったのかどうか、とも思います。
この映画を監督したジェームズ・アイヴォリーについてはまたいつか書きますが、
ピカソも、一旦ここで終わりにします。